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福岡地方裁判所 平成3年(ワ)2792号 判決

主文

一  被告は原告に対し、金五〇万円及びこれに対する平成三年一二月二九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告は原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する平成三年一二月二九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  事案の要旨

本件は、学習参考書の著作権者である原告が、出版会社である被告の出版契約違反行為及び原告に対する名誉毀損行為によって精神的苦痛を被ったとして、被告に対し慰謝料を請求した事案である。

二  争いのない事実等

1 原告は、昭和二三年三月に福岡市立西福岡中学校の教諭に補せられ、以後四〇年にわたり、社会科の教師として中学校及び高等学校に勤務した者であり、同六三年三月に福岡工業高等学校を定年退職してからは著述業を営んでいる。

被告は、主として高等学校用教科書や学習参考書の出版を業とする株式会社である。

(争いのない事実)

2 原告と被告とは、昭和六〇年九月一八日付けで、原告の著作にかかる地理の学習参考書を被告において出版する旨の契約(契約内容は別紙一出版契約記載のとおり。以下「本件出版契約」という。)を締結した。

(争いのない事実)

3 原告は、本件出版契約に基づき「基礎地理の学習」と題する地理の学習参考書(以下「本件書籍」という。)の原稿を書き下ろして被告に交付し、被告は、昭和六二年二月、本件書籍を出版した。

(争いのない事実)

4 本件出版契約第三条には、本契約にかかわる同種類の性格の書籍(以下「同種類の性格の書籍」という。)を、原告が他の出版社から編集刊行したり被告が別に編集刊行したりしない旨規定されているところ、被告は、平成三年三月一日、「地理白地図ワーク」と題する地理の学習参考書を出版した。

(争いのない事実)

三  争点

1 地理白地図ワークが「同種類の性格の書籍」に該当するか否か(本件出版契約第三条違反の存否)

2 被告の原告に対する名誉毀損の成否

3 被告の販売義務違反の存否

4 損害額の範囲

四  原告の主張

1 地理白地図ワークが「同種類の性格の書籍」に該当するか否か(本件出版契約第三条違反の存否)について

(一) 原告は、昭和六〇年九月ころ、肩書住所所在の被告本社において、書籍出版について決裁権限を有する石井彰編集部次長(以下「石井次長」という。)と面接し、被告が、本件書籍を出版すること、被告において今後出版する作業用の白地図帳についての企画、執筆及び編集を原告が担当することにつき、合意した。

その後、原告は、被告との間で本件出版契約を締結した際、「同種類の性格の書籍」が作業用の白地図帳である旨告げ、被告もこれを了承した。

したがって、本件出版契約第三条の「同種類の性格の書籍」とは作業用の白地図帳全般を指す。

ところで、被告が平成三年三月一日に出版した地理白地図ワークは、各頁ごとに白地図が配列され、各白地図ごとに記載されている設問に従って当該白地図に記入する作業をすることができる作業用の白地図帳であり、「同種類の性格の書籍」に該当するから、被告の地理白地図ワークの出版は、本件出版契約第三条に違反する。

(二) 仮に、原告と被告との間で、「同種類の性格の書籍」が作業用の白地図帳全般を指すものである旨、事前に合意しなかったとしても、地理白地図ワークは「同種類の性格の書籍」に該当する。

なぜなら、本件書籍は、その果たし得る機能、内容、構成及び従来の作業用の白地図帳との対比から、高等学校の地理の授業において教科書と併用できる副教材であること、系統地理的及び地誌的白地図が項目ごとに配列されていること、各項目ごとに、中心部分に白地図が配置され、設問に従って、教科書ないし地図帳を参考にして当該白地図に記入する作業をすることができること並びに教科書ないし地図帳を理解するのに役立ち、又は必要な資料及びそれを読み取ることによって応えうる設問が記載されていることの四点に特徴があるところ、地理白地図ワークも同様の特徴を有しているからである。

したがって、被告の地理白地図ワークの出版は、本件出版契約第三条に違反する。

2 被告の原告に対する名誉毀損の成否について

被告は、本件訴訟において、原告の本件書籍の原稿に、「他社本の流用」、「他社本の盗用原稿」、「他社本の盗作」、「盗作の地図原稿」等、原告が他者の著作権を侵害したとの虚偽の事実を記載したメモを貼付して証拠として提出し、原告の名誉を著しく毀損した。

また、同様に、「著者の力量が窺える。」、「著者の頭の混乱ぶりが窺える。」、「著作権の理解など全くないと思える」、「地理の教師でありながらこんなラフな地図にいい加減な領域を示した原稿には驚きを覚える」、「手抜きの仕事をし」、「他社本からの盗用のままの原稿には、呆れ返る」、「著者の手抜きを、生徒に押しつけているようなものである」、「全く教育的配慮に欠け」など、原告の人格を不当におとしめる内容のメモを貼付して証拠として提出し、原告の名誉を著しく毀損した。

3 被告の販売義務違反の存否について

被告は、本件出版契約に基づき、本件書籍を販売する義務を負っているところ、本件紛争が発生した後は、積極的な販売活動を行わず、営業所に本件書籍の見本を置かなかったため、平成四年の本件書籍の売上は同三年に比べて半分近くまで落ち込んだ。

4 損害額の範囲について

以上の各事実により、原告は精神的損害を被ったが、その損害を慰謝するために必要な金額は金五〇〇万円を下らない。

五  被告の主張

1 地理白地図ワークが「同種類の性格の書籍」に該当するか否か(本件出版契約第三条違反の存否)について

(一) 被告と原告は、「同種類の性格の書籍」とは、視点、白地図、作業、資料、基本問題及びノート的な余白の六つの要素で紙面を構成する地理の総合的な副教材である旨合意しているから、「同種類の性格の書籍」は作業用の白地図帳全般を意味するものではない。

地理白地図ワークは、作業用の白地図帳であり、「同種類の性格の書籍」ではないから、被告の地理白地図ワークの出版は、本件出版契約第三条に違反しない。

なお、原告は、被告が、今後出版する作業用の白地図帳についての企画、執筆及び編集を原告に全面的に依頼した旨主張するが、作業用の白地図帳は、当時も現在も多数出版されており、これら全般について一人の著者に企画、執筆及び編集の全てを任せるはずがない。

(二) 仮に、「同種類の性格の書籍」が右のような地理の総合的副教材であるとの事前の合意がなかったとしても、以下の事実を考慮すれば、地理白地図ワークが「同種類の性格の書籍」に該当しないことは明らかである。

(1) 本件書籍は、以下のような客観的性格を有し、一冊で様々な学習ができる地理の総合的副教材である。

ア 全体を通し、見開きごとに単元が配列され、各単元ごとに、白地図、「視点」、「作業」、「資料」、「基本問題」及びノート的な余白の六つの要素が一定の分量をもってスペース配分されている。

イ 白地図は作業することが予定されており、その便宜のため、紙面の中央に配置されているが、「視点」、「資料」及び「基本問題」とは殆ど関連していない。

ウ 「視点」は、白地図の作業の観点が記載されたものではなく、単に教科書の事項等の要点整理である。

エ 「資料」は、白地図の作業に必要なものではなく、図表や統計をまとめた資料集的なものである。

オ 「基本問題」は白地図の作業とは関係なく、一般的な地理の問題を羅列したもので、教科書などを参照して解答を得ることが前提となっている。

カ 全頁に大学ノートの代わりができる空欄が設定されている。

キ どの地理の教科書にも使える一般的な教材である。

(2) 一方、地理白地図ワークは、以下のような客観的性格を有する作業用の白地図帳である。

ア 地理白地図ワークは、A4版、一頁単位の構成で、中心に作業が予定された白地図が置かれ、周辺にはいずれも白地図の作業のために必要な「着眼ポイント」、「作業してみよう」及び「質問コーナー」の各項目が配置されている。

イ 「着眼ポイント」は、白地図の作業前に、作業の観点を示し、その意図を意識させるためのものである。

ウ 「作図してみよう」は、白地図の作業の方法を指示するもので、地理白地図ワークの中心をなしている。

エ 「質問コーナー」は白地図の作業後のまとめである。

オ 「ちょっと寄り道」は、空いたスペースにエピソード的に存在し、地理白地図ワーク独自のものである。

カ 系統地理が主で、地誌は白地図のみが置かれている。

キ 被告の出版する「新編地理図表」を補完することを予定した、同書の補助教材である。

(3) 以上によれば、本件書籍と地理白地図ワークとの間には、次の各相違点が厳然と存在する。

ア 本件書籍は、視点、白地図、作業、資料、基本問題及びノート的な余白の六つの要素で紙面を構成し、どの地理の教科書にも使える地理の総合的な副教材であり、必ずしも白地図の作業が中心ではない。

一方、地理白地図ワークは、作業用の白地図帳であり、被告の出版する「新編地理図表」を補完する補助教材である。

イ 本件書籍は、視点、白地図、作業、資料及び基本問題の各部分が独立しており、相互に直接的な関連性は存在しない。

一方、地理白地図ワークは、「着眼ポイント」、「作図してみよう」及び「質問コーナー」の各項目が、いずれも白地図の作業を完成し、知識を確認し、復習するため、相互に密接に関連している。

2 被告の原告に対する名誉毀損の成否について

被告の原告に対する名誉毀損が成立するとの原告の主張は争う。

3 被告の販売義務違反の存否について

被告が本件出版契約上の販売義務に違反したとの原告の主張は争う。

第三  争点に対する判断

一  地理白地図ワークが「同種類の性格の書籍」に該当するか否か(本件出版契約第三条違反の存否)について

1 「同種類の性格の書籍」の解釈について

「同種類の性格の書籍」の内容の具体的確定は、いわゆる法律行為の解釈であるところ、一般に、法律行為の解釈は、当該具体的諸事情のもと、当該表示行為から客観的に読み取れる社会的意味を確定する作業であるから、文言に拘泥するのではなく、当事者が達成しようとした社会的、経済的意図ないし目的に適合するようになされなければならない。

そこで、当事者が当該具体的事情のもとで表示行為に付与した意味や、慣習、任意規定及び条理に照らし、これを確定することが必要である。

2 この点、原告は、本件出版契約締結の際、原告と被告とは、「同種類の性格の書籍」が作業用の白地図帳全般を指すものである旨合意したと主張するので、この点について検討する。

(一) 《証拠略》を総合すれば、次の各事実を認めることができる。

(1) 原告は、昭和六〇年五月ころ、被告に対し、被告福岡営業所の山田所長を介して本件書籍を著す予定である旨告げ、本件書籍に関する出版契約の締結について打診したところ、書籍出版について決裁権限を有していた石井次長から、直接会って話したいので来社してほしい旨の要請を受けた。

これに応じた原告は、同年九月九日、肩書住所所在の被告本社で、石井次長及び当時の編集部従業員であった河野正照(以下「河野」という。)と面接し、自己の経歴、編集上の特色及び装丁の案等について記載し他社から出版されている作業用の白地図帳のコピーを添付した企画書(乙第一七号証)を持参し、これに基づいて、本件書籍の内容が、作業を予定した白地図を中心とし、これに用語、資料及び基本問題などの要素を組み合わせたもので、従来の作業用の白地図帳とは異なるものである旨及び原稿形式等について説明し、併せて、被告が原告に対し、編集費用及び旅費として金六五万円並びに毎年の改訂作業における編集費用及び旅費として金三五万円以上の金額を支払う旨の契約条件を提示した。

石井次長は、原告が、初対面であるにもかかわらず、高額の編集費用を要求するなど、金銭面で過大な要求をする者であるとの印象を持ったものの、原告の本件書籍に関する説明を聞いて、本件書籍が従来にない独創的な教材となると考え、被告が当時、作業用の白地図帳を出版していなかったこともあって、さらに同月一七日来社した原告と話し合ったうえ、原告との間で、本件書籍について出版契約を締結する旨合意した。

(2) 原告は、同年一〇月一日ころ、被告から、本件出版契約を締結するための出版契約書のひな型の送付を受けたが、右ひな型の第三条の文言は、「甲は、この契約の有効期間中に、本著作物の全部もしくは一部を転載しあるいは他人をして出版させない。」とされており、被告側に対する規制の趣旨が明示されていなかったため、これを削除し、代わりに本件出版契約第三条の文言を挿入したい旨、折衝を担当した河野を介して被告に申し出、被告がこれを承諾したので、同月中旬ころ、本件出版契約が締結された。

(3) 当時、地理の教材としての作業用の白地図帳は、被告以外の出版会社から複数出版されており、現在でも多数の出版社から多数出版されている。

以上の各事実に鑑みれば、本件出版契約締結当時、原告との深い付き合いもなく、同人の性格、能力及び人柄等について熟知していなかった被告(石井次長)が、被告の業績に大きな影響を与える作業用の白地図帳全般について、将来にわたって全面的に原告に任せ、別に編集刊行しないことを約したとは到底考えられない。

(二) 一方、原告は、その本人尋問において、昭和六〇年九月九日又は同月一七日、石井次長との間において、被告の白地図等の書籍に関する企画及び編集等について全て原告に任せるとの合意が成立した旨、また、同年一〇月初、中旬ころ、契約締結の折衝の任にあたっていた河野との間において、「同種類の性格の書籍」が作業用の白地図帳を指すことを明確に確認した旨供述するが、右各供述は、証人石井、同河野の各証言に照らしいずれも採用することができない。

(三) したがって、原告の前記主張は、採用することができない。

3 そこで、さらに、「同種類の性格の書籍」が、当該具体的事情のもと、客観的にいかなる書籍を意味すると解すべきかについて検討する。

(一) 《証拠略》を総合すれば、次の各事実を認めることができる。

(1) 一般に、学習参考書は、生徒に対して一定の正確な知識を的確に伝達し、習得させる目的を有するから、その性質上、内容が類似したり、素材が共通することが多い。

また、一般に、学習参考書は、対象となる生徒のレベルや教育現場の要請に合わせて、その版の大きさ、活字の大小及び内容の難易度の異なるものが数種類にわたり、並行して出版されている。

(2) 一方、学習参考書は、既に出版されている同種類の参考書に対する教育現場の声を反映させながら、内容の類似したものが出版されることが少なくなく、出版から時を経るとともにその独創性が失われていく傾向がある。

(3) 被告は、大久保光の編著にかかる日本史基本史料集について、昭和五八年に同人が死亡した後、同人の相続人などに無断で、同書のはしがきの一部を削除し、編著者名を削除したうえで、被告を編者と記載した改訂版を出版した。

(4) 原告は、本件出版契約締結当時、被告が、有名な著作者に依頼して学習参考書を出版し、以後、これに類似した学習参考書を被告を編著者として出版する傾向があると判断し、本件書籍がこのような帰趨を辿らないようにしたいと意図して本件出版契約第三条の文言を考案し、これを特に被告に申し出て被告との間で合意した。

(二) 以上の諸事情、本件書籍と地理白地図ワークとが同じ高等学校用の地理の学習参考書であり、その内容が類似してくるのは避けられないこと及び原告が本件出版契約締結当時有していた前記(一)(4)記載の意図には合理性が認められることなどを総合考慮すれば、「同種類の性格の書籍」とは、本件書籍に関して原告が創作した着想を利用し、重要な部分において本件書籍と類似する書籍であると解するのが相当である。

そして、具体的に地理白地図ワークがこれに該当するといえるか否かは、本件書籍と地理白地図ワークの客観的な類似点を確定する一方、本件書籍と世上出版されている同種類の書籍を比較し、書籍全体の構成や紙面の構成について原告の創作した着想を見極めた上で、これを判断すべきである。

4 そこで、まず、本件書籍と地理白地図ワークとの類似点について検討する。

《証拠略》によれば、次の各事実を認めることができる。

(一) 本件書籍は、世界地理を中心とし、高等学校において授業する地理学の範囲を三四の項目(その内容は別紙二目次比較表1記載のとおりである。)に分けて掲載している。

また、地理白地図ワークも、世界地理を中心とし、高等学校において授業する地理学の範囲を三五の項目(その内容は別紙二目次比較表2記載のとおりである。)に分けて掲載しているほか、九項目の完全な白地図を掲載している。

(二) 本件書籍は、一項目に見開き二頁を当て、当該項目を理解するための学習の視点及びその項目を理解するために必須の基本事項を「視点」欄に記載している。

また、地理白地図ワークは、一項目に一頁を当て、当該項目において理解すべき着眼点を「着眼ポイント」欄に記載している。

(三) 本件書籍は、全ての項目の中心に白地図(ただし、地形図に関する四つの項目については地形図)を配置し、「作業」欄の指示に従い、教科書、地図帳、「視点」欄及び「資料」欄を参考にして、書き込みや色分けなどの作業をすることによって知識の整理及び定着を図ることを狙いとしている。

また、地理白地図ワークも、全ての項目について白地図(ただし、地形等に関する九つの項目については地形図、気候に関する一項目についてはグラフ)を配置し、「作図してみよう」欄の指示に従い、白地図に記載されている記号や凡例及びグラフ等の指示に従って、書き込みや色分けなどの作業をすることによって知識の整理及び定着を図ることを狙いとしている。

(四) 本件書籍の白地図の周辺には、当該項目に関係する統計資料等が記載された「資料」欄が豊富に配置されているほか、基礎的な問題が設けられた「基本問題」欄が配置され、余白には罫線が入り、ノートとして利用できるようになっている。

これに対し、地理白地図ワークは、各項目に、作業に関連した問題が設けられた「質問コーナー」欄が配置され、作業後の知識の定着が狙われているとともに、全体で九か所にわたって「ちょっと寄り道」欄が設けられ、基本的事項及び生徒の興味を引きやすい事項の説明等が記載されている。

以上の検討によれば、本件書籍と地理白地図ワークとは、その全体及び紙面の構成において、当該項目について学習の視点を明示し、白地図の作業と基本問題の流れで当該項目の知識の定着を企図している点で、極めて類似しているものというべきである。

5 次に、前記の類似点が、本件書籍に関して原告が創作した着想といえるか否かについて検討する。

(一) 《証拠略》によれば、本件出版契約当時、本件書籍のように項目ごとに学習の視点を明示して作業の意味を生徒に理解させ、その後の白地図の作業及び関連問題を解答することによって知識の定着を図ることを狙った地理の学習参考書は存在せず、また、現在においても、明確に「視点」といった項目を明示して、学習の視点を提示しているものは存在しないことが認められる。

したがって、前記の類似点は、本件書籍に関して原告が創作した着想というべきである。

(二) この点、被告は、本件書籍の特徴は、視点、白地図、作業、資料、基本問題及びノート的な余白の六つの要素が盛り込まれた総合的教材であることにあり、地理白地図ワークは総合的教材ではないので、「同種類の性格の書籍」とはいえない旨主張するが、前記4に判示した点が本件書籍に関して原告が創作した着想として重要な部分であるのに対し、被告主張の右の点は必ずしも重要とは認められないから、被告の右主張は理由がない。

また、被告は、本件書籍の視点、白地図、作業、資料及び基本問題の各項目が独立しており、相互に直接的な関連性がないのに対し、地理白地図ワークの「着眼ポイント」、「作図してみよう」及び「質問コーナー」の各項目は、いずれも白地図の作業を完成し、知識を確認し、復習するため、相互に密接に関連している旨主張するが、《証拠略》によれば、本件書籍においても、視点で示された観点に基づいて、資料を参照しながら白地図の作業をし、関連した基本問題を解くことが予定され、相互に密接に関連している部分も多く、他方、地理白地図ワークの「質問コーナー」の中にも、教科書や地図帳を参照しなければ解答できない問題が存在することが認められるから、被告の右主張は理由がない。

6 以上によれば、地理白地図ワークは、本件書籍に関して原告が創作した着想を利用し、重要な部分において本件書籍と類似するものであるというべく、「同種類の性格の書籍」に該当するものと解すべきである(したがって、地理白地図ワークの出版は、本件出版契約第三条に違反する。)。

二  被告の原告に対する名誉毀損の成否について

1 原告は、本件訴訟において被告が提出した証拠に貼付されたメモの記載が、原告の名誉を著しく毀損するものである旨主張するので、この点について判断する。

《証拠略》によれば、被告が本件の証拠として提出した乙第三ないし第一六号証において、被告が原告の本件書籍の原稿に関し、「他社本の流用」、「他社本の盗用原稿」、「他社の盗作」、「盗作の地図原稿」、「著者の力量が窺える」、「著者の頭の混乱ぶりが窺える」、「著作権の理解など、全くないと思える」、「地理の教師でありながら、こんなラフな地図にいい加減な領域を示した原稿には、驚きを覚える」、「手抜きの仕事をし」、「他社本からの盗用のままの原稿には、呆れかえる」、「著者の手抜きを、生徒に押しつけているようなものである」、「全く教育的配慮に欠け」などと記載(以下、併せて「本件各記載」という。)したメモを原稿に貼付していることが認められ、本件各記載は、一見して妥当性を欠く表現といわざるを得ない。

2 しかし、一般に、弁論主義及び当事者主義を基調とする民事訴訟法のもとでは、当事者が自由に忌憚のない主張や立証を尽くすことが重要であるから、これらが一見妥当性を欠いた表現でなされたとしても、それが、相手方の名誉を著しく誹謗、中傷するため、主張や立証に藉口して故意になされたなどの事情のない限り、違法性を有するとはいえないと解すべきである。

そこで、被告が本件各記載をしたメモを原稿に貼付したことについて、右事情があるか否かについて検討する。

3 《証拠略》によれば、次の各事実を認めることができる。

(一) 原告の本件書籍の原稿には、原告の手書きによる原稿の代わりに、印刷物のコピーが貼付されている部分が相当程度存在する。

(二) 原告から本件書籍の原稿を受け取った河野は、原告に対し、右印刷物のコピーの出典を明示するように依頼したが、原告は右印刷物のコピーの多くについて出典を明示しなかったため、石井次長及び河野は右印刷物のコピーが他者の著作物のコピーであると認識した。

(三) 本件各記載は、本件訴訟が提起された後、原告の作成した本件書籍の原稿を証拠として提出するに際し、原告の独創性を否定し、ひいて地理白地図ワークが「同種類の性格の書籍」に該当しないことを示すべく、石井次長と河野が相談のうえ、同人らの当時の右認識を記載したものである。

4 右に認定した各事実に照らせば、被告が本件各記載をしたメモを原稿に貼付したことについて、前記事情を認めることはできないから、名誉毀損が成立するとの原告の主張は理由がない。

三  被告の販売義務違反の存否について

原告は、被告が本件出版契約に反して、本件書籍につき積極的な販売活動を行わず、本件書籍の見本を営業所に置かなかったとして、本件出版契約に基づく販売義務の不履行を主張しているので、この点について判断する。

前記事実及び《証拠略》によれば、本件出版契約第五条において、被告は本件書籍の発行及び販売の責任を負う旨定められているところ、被告は本件書籍を、昭和六三年度には六四七九冊、平成元年度には七八七八冊、平成二年度には五七三五冊、平成三年度には五一四一冊、平成四年度には二八〇五冊、平成六年度には三三五一冊(ただし、同年七月当時の販売冊数であって、増減数調整前の冊数。)販売していることを認めることができる。

そうすると、本件書籍の販売数は平成二年度以降減少傾向にあるものの、平成六年度にはやや持ち直しているから、右減少の事実をもって直ちに、被告の販売義務違反があったということはできず、そのほか、被告が販売義務に違反したことを認めるに足りる証拠はない。

したがって、原告の右主張は採用することができない。

四  以上によれば、原告は、被告に対し、本件出版契約第三条違反により被った精神的損害の賠償のみを請求しうるところ、本件に顕れた一切の事情を斟酌すると、原告の精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は、金五〇万円をもって相当と認める。

五  そうすると、原告の本訴請求は、金五〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成三年一二月二九日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある。

(裁判長裁判官 石井宏治 裁判官 岡田 治 裁判官 工藤 正)

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